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2015.03.04 3/1鹿児島で
鹿児島は思ったより暖かくなく、みんなが当たり前にダウンを着ていました(笑)
この日も曇り空で、今にも降りそうな寒い日。
それでも菜の花やポピーが咲いていて、田んぼには草も生えていてwww
あったかいんだか、寒いんだかよくわかりません、鹿児島(^_^;)
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鹿児島に行きたかったのは、知覧に行ってみたかったからです
広島、長崎、沖縄、そして鹿児島(知覧)に行くことを自分に課していました
小田さんはそのきっかけを作ってくれました

バス停で、時刻表を見ている女性に
「知覧行きはここでいいんですか?」と尋ねたら
「わたしも旅行者です」と言われてしまいました(^^;)
「わたしも知覧に行きます、もしかしたら小田さんのコンサートで?」と聞かれ
「はい、そうです!」と、またしても小田さんファンと出会えました。

「どちらからですか?」と聞かれ
「仙台です・・・」
「わかります、兄が青葉区に住んでいます。わたしは横浜からなんです」
おぉー、東日本の人の「せんだい」は「仙台」に脳内変換されるね!

バスを待つ間、小田さん話しで盛り上がり、知覧の話しに
彼女もわたし同じように
「小田さんがきっかけを作ってくれて、ありがとうなんです」
と言っていました
バスに乗ってからはお互い別々に座り、
彼女は武家屋敷でバスを降りました
お互い名前も名乗らず、愛しい一期一会でした

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鹿児島中央駅から特効観音入り口まで、バスで1時間半
峠越えをするような不便なところなのに、と思いましたが
航空基地としては地理的に沖縄に一番近いため、
沖縄戦の最前線基地として、特攻隊の半数近くが知覧から出撃したそうです

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今はまだ蕾も堅い桜並木

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知覧基地は、現在使われている地方空港より広い敷地だったそう
桜の咲く頃に見てみたい気がします

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もともとは大刀洗陸軍飛行学校の分校として開校
十代後半から二十代前半の若者たちが沖縄に向かって飛び立っていきました

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凛々しい少年たち青年たちの遺影と
遺書に込められた母や家族への情愛と死に往く覚悟に胸が痛みました
千余名の若者たち、名も無き幾千幾万の戦死者たちの命を無駄にしてはいけないと強く強く思いました
彼らが息子、娘、妹、弟、そしてわたしたち後世に生きる者に託したものは
戦争のない誰もが自由に生きていける日本

たくさんの犠牲となった命の上に、生きているということを忘れない

亡くなった人のためにわたしたちが出来ることは
生きていたそのことを忘れないこと
犠牲を払って教えてくれたことを再び繰り返さないこと

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2015.03.03 2/28鹿児島へ
鹿児島に行ってみたいと、ずっとずっと思っていました
そんな折、小田さんのコンサートが鹿児島である、それも2月28日土曜日に!
ファンクラブの先行予約で当たってもハズレても、鹿児島に行こうと決めました

2月28日(土)
仙台から伊丹で乗り継いで鹿児島へ
s-20150228_005.jpg @仙台空港

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あいにくの曇り空で山々が見えませんでした

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空港内にはキャンプ情報が
野球のオープン戦を見に来るというのもなかなか楽しそう
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ベガルタがんばれ~\(^o^)/

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自慢じゃないが地図が読めないわたし(^^;)
ホテルを決めるとき「駅近く」と決めています
鹿児島中央駅そばのホテルは迷わなかったし、とても快適でした

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鹿児島中央駅 東口[桜島口]

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『若き薩摩の群像』 藩命で海外渡航の禁を犯した19名
説明板によりますと、
まず始めに留学生たちを驚かせたのはオランダ人夫婦の激しいキッスシーンでした
キスじゃなくキッスというところに激しさが感じられます(≧▽≦)
1865(慶応元)年といえば、まだ日本は鎖国中。甑島(こしきしま)大島出張と偽り、
イギリス商人グラバーの手引きで、羽島を出向してから20日目、シンガポールでの出来事です。
それからはもう見るもの全てが驚きの連続。
アイスクリーム、高層建築、汽車・・・・・。66日かけて彼らはやっとロンドンに着きました。


留学生のなかで聞き覚えのある名前は、森有礼だけでした(^▽^;)
生麦事件(1862年)のあとにイギリスに行くってどういうこと!?
と思いつつ、コンサート会場へと向かいました

薩摩とイギリスの仲が気になる方は(^▽^)
薩摩藩英国留学生記念館のサイトで

s-20150228_040.jpg 会場の鹿児島アリーナへのシャトルバス
♪小田日和♪仕様になってました(*´∀`*)

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鹿児島中央駅から鹿児島アリーナまでは20分弱
鹿児島アリーナに着いたときには雨が降り出していました

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暖かい鹿児島を期待していたのに意外に寒くて、雨が降ってますます寒くて
とても外にはいられず、会場ロビーのグッズ売り場へ入ってみたりして…。
めぼしいものは仙台公演のときに買ったので、寒さ対策(^_^;)
長居も出来ず、サブアリーナの建物へ移動しました

サブアリーナは、開場前に集まった人が寒さしのぎやら、
小腹を満たそうという人やら、トイレを早めに済まそうという人やらで混んでいました
わたしも早めにトイレに行っておこうと、長い列になっている1階のトイレを避けて
2階のトイレに行きました

2階のトイレは武道場の中にあり、
わたしの前にすでにおねえさま一人が順番を待っていました
「わたしの後ろに友だち二人いるの、いまいないけど」とおねえさまは言いました
「あ、はい、わかりました」と言いながらも、
(順番が来ても戻ってこなかったらどうすんの?待ってなきゃいけないの?)
と思いつつ待っていると、案の定(ホラ、順番きたよ)というタイミング
でもわたしが知らないうちにそのお友だち二人とやらは後ろに並んでいたらしく
「すいませんでした、どうぞ」と譲ってもらえることになり、
わたしも(余計な心配しなくて良かった)と思ったのでした

トイレを済ませて武道館から出ると、先ほどのおねえさまがいて
「すいませんでした。どちらからいらしたの?」というので
「仙台です、薩摩川内でなく…」と言ったら
「うわぁ~~握手してもらおう!!」
「( ̄▽ ̄;)」

おねえさまは熊本から来たというYさんで、コンサートに10人くらいで来たという話しやら、
音楽の先生だったんだとか、お友だちやら教え子の方に紹介され(^-^;)はずー
電話番号を交換して「コンサート楽しみましょう!」と別れました
写真を撮ればよかった(>_<)と後悔したのは会場に入ってからでした

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2階席でしたが、ステージ正面でとても見やすい席でした
高所恐怖症ではないのにスタンディングはちょっと怖かった(>_<)

小田さんのうたは、
一人じゃないって思わせてくれて、
頑張ったことは誰かが見ててくれるって思わせてくれて、
真摯に生きようって思わされる。
良かった。
やっぱり来て良かった。
何度でも小田さんに会いたい。


とは言うものの…
前回のツアーのときから小田さんは、コンサート前半と後半の顔が…
疲れが出るようでとても心配です
たとえツアーのために鍛えているといっても67歳
広い会場を行ったり来たり、階段を上ったり下りたり
それを歌いながらするわけですから、疲れますって
わたしはギターを持つ小田さんより、ピアノを弾く小田さんが好きなので
ずっと座っててもらって構わないんだけど(^o^;)
ツアーをしてくれるのはとても嬉しいけど、無理しなくていいからとも思ってます

小田さんのうたでまた明日から頑張ろうと思えたし、
面白い出会いもあった鹿児島1日目でした

2015.02.22 罪悪感
日曜日、町内ではいろいろな研修会や勉強会がありました

語りべ

気にはなっていたものの、どれにも参加せずに引きこもって
片づけなければならないことに集中。。。

先送りしていたことがいろいろあるし、きょうしか休みはないし…
言い訳のような罪悪感が消えない

やることが山積みになったのは普段の怠け心が招いたこと

そういうことです
家に居るだけの休みを過ごすことに、罪悪感と後悔がいつも残ります
こんな気持ちになるなら
片付けなきゃいけないことは寝る時間を削ってやろう

( ̄_ ̄?)

普段の生活を見直します
という反省をなぜしない(爆)

いつもわたしの呼び掛けに時間を作ってくださる方のために
自分もチカラになりたいと思いながら役に立っていないことを申し訳なく思います
そんな罪悪感を感じるのも月に一回あるかないかですけど
こんな気持ちで過ごすお休みは減らしたい!と思った日曜日でした

2015.01.30 昨年以上に
怠惰な毎日を送っていました・・・(--;)
わたしの体調を心配してくださっていた方もいるとかいないとか(笑)

1月30日、おかげさまで元気に誕生日を迎えました
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健康がいかに大切かということがしみじみわかる歳になり、
そして、たくさんの方に支えられ、守られて、自分がいることに改めて感謝しています
これからも誠実に生きていくことを人生訓といたします

ハレの日に大雪とは・・・日頃の行い!?
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さて、
今年は 昨年以上 という目標をたてました
少しでも昨日の自分より学び、成長していたいと思っての決意です
それと対極にあるのが 怠惰 ですよね
すでに挫折してました(苦笑)

きょうから頑張ります\(^o^)/

そんなこんなで今年もたくさんの方と楽しい思い出をつくっていきたいと思います
よろしくお願いします

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一夜明けて晴れの日

去年の手帳を見返してみました
2013年10月6日、2014年日本のうたごえ祭典inみやぎ実行委員会結成会
以来、実行委員会の企画委員として携わってきましたが、
あまり戦力になっていなかったという思いがあります
申し訳ないという思いと、これが限度という思いと半々…
実行委員会と、
どらごえサークル・「この町で」を歌う合唱団、そして山元町の歌を作り隊との繋ぎをする
というのが一番の仕事だと思っていましたので、
それだけは無事に果たせたかなという思いです

本番を控えて最後の練習
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音楽会前日の準備の様子
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初めてのゼビオアリーナ仙台は、「意外に小さいなぁ!」という第一印象でしたが
ここが人でいっぱいになるのだと思うと、やっぱりすごいことだと思いました(^^;)
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出演する人以上の人が、準備のために立ち働いている
1年以上も前から準備してくれている人がいる
音響や照明をプロの人がオペレートしてくれている
自分たちの出演は5分前後だけど
そのためにどれだけたくさんの人が関わってくれているかを
どんなときも忘れずに
ステージに上がるということはそういうこと


当日の様子 3階席から
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「この町で」を歌う機会を与えてくださった実行委員会の皆さん
一緒に「この町で」を歌ってくださった皆さん
来場してくださった5,400人の皆さん
ありがとうございました
そして
どらごえサークル、作り隊のみんな
ありがとう

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