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2015.07.07 6/14ひと区切り
宮城県母親大会in岩沼で、「この町で」を歌う合唱団と共に
1000席が埋まった中で「この町で」を歌いました
s-20150614_この町で合唱団2

午前のうたごえ分科会で「この町で」の歌唱指導の時間をいただいたので
午後の本番では一緒に歌ってくださった方も多かったと思います
そして、
「一緒に歌いたい方はぜひステージへ」
というアナウンスもあり、何人かの方がステージへ
その中に大阪から来てくださっていたHさんの姿も!

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 [Hさんからの黄色いハンカチ2014年]

去年の日うたinみやぎにも来てくださったHさんは
福島や宮城の被災地を定期的に年に何度か来てご支援くださっているのです


歌うパートの関係で並んで歌うことはできませんでしたが
会場の方へのアナウンスがなければこうした機会もなかったでしょう
主催者の方の嬉しいご配慮に感謝でした

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「歌いたい」といって合唱団に参加し練習に励んでくださった人たち
組織作りに尽力してくれたどらごえサークルのみんなへ
震災後からのたくさんの方の献身的な活動
忘れてはいけない今も続くあの日の悲しみや胸の痛み

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「この町で」を歌う合唱団として最後の発表の場になるだろうという
短いながらも大切な時間を、
様々な想いを、
かみしめて歌いました

合唱団の皆さんからは、
母親大会そのものへの参加が有意義であったことと、
合唱が楽しかったと言っていただきました

約1年の合唱団の取り組みもこれでひと区切り
肩の荷が降りた安堵感と達成感で満たされています

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6月14日(日)岩沼市民会館ほかを会場に、第55回宮城県母親大会が開催されます
20150614母親大会

9時30分からの分科会にはさまざまな分野のことが学べる16の分科会があります
20150614分科会

参加料700円
どなたでも参加出来ます

13時からの全体会では、憲法噺で有名な八法亭みややっこさんこと、
飯田美弥子弁護士による記念講演があります

全体会のオープニングでは
「この町で」を歌う合唱団による「この町で」を作り隊の伴奏で歌います
この町合唱団としては、今回が最後の演奏になるかもしれません…。


母親大会とは
1954年のビキニ環礁での水爆実験によって3度目の被爆に母親たちは怒り、
平塚らいてうさんら5人は全世界に向け、水爆禁止の訴えを送り、
1955年スイスのローザンヌで世界母親大会の開催が決まりました。
それに先立ち、第1回日本母親大会が東京で開かれ、炭鉱や農村、漁村、
山村と日本の各地から1円募金などで送り出された2千人の母親たちが
集まりました。世界大会にはあらゆる分野から代表を選び、14人が参加
しました。幅広い母親運動の出発点です。

 世界母親大会に寄せられたギリシャの詩人ペリディス夫人の詩の一節
「生命(いのち)を生みだす母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます」
は今日まですべての母親・女性の心をとらえ、連帯のスローガンになっています。

厳しい情勢のときだからこそ、
みんなで語り、学び、明るい未来をきりひらく力にしていきましょう



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5月も終わるというのに、、、
ブログをコンスタントにupしている人を尊敬します、本当に尊敬します

そんなわけで、5月4日の遊び隊の報告を今頃ではありますがいたします

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曇っていた朝がウソのような天気になり
暑い暑い五月晴れに
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青空に黄色いハンカチが映えますね

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子どもも大人も動物もたくさん集まりました

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ポニーに乗れるのは子どもだけ・・・

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子どもも笑顔

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高校生も笑顔

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おとなも笑顔

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叶ありささんもみんなも笑顔

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おまわりさんも笑顔

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前日からみんなでつくったフラワーアートも

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こんなにステキに出来上がりました!

山元町でのお披露目がかなった「この町で」を歌う合唱団による 「この町で」
山元で、みんなで、歌った「この町で」は特別な思いが交錯
みんなが もう一度歩き始められますように
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ご協力並びにご参加いただいた皆さん、本当にありがとうございました
0504_協力者一覧

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恒例になりました春の遊び隊のお知らせです。
例年5月5日に、少年の森で開催していましたが、
今年は5月4日に、会場を山元町中央公民館に移して開催します
s-0504_ちらし
5月4日(祝・月) 午前10時から午後2時まで
 子どもも大人もみんなで遊び隊 http://yamamotoasobitai.web.fc2.com/

春は小規模に、というコンセプトでしたが
わたしたちの勝手な、言ってしまえば乱暴な企画
参加したいという奇特な方々がたくさんいらっしゃって(笑)
予想外の、夏をもしのぐ規模になりました
ありがとうございます\(^o^)/

宮城県牛乳普及協会さんからの牛乳の配布や、
全農みやぎさんからのいちごの試食など、早く来るといいことがあります!
珠さんのスティールパン演奏
サーカスの叶ありささんが今年も!歌ってくださいますし
作り隊の伴奏で歌う「この町で」を歌う合唱団は山元町での初披露です
ウシヒツジポニーウサギも待ってますよ

この辺や
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この辺で盛り上がりましょう
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尚、今回はプレ企画として、前日からフラワーアート作りも!
フラワーアートは、子どもたちが描いた下絵に、花びらをのせて作っていくものです
富山県花卉球根農業協同組合さんから 5色のチューリップの花びらが届きます

s-花絵下絵

この下絵を元に、3日の10時から作業を開始します
皆さんのチカラを貸して下さい
一緒に完成させましょう!



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各地で追悼行事が催された3月11日でした

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あの日、避難した坂元公民館でラジオからの断片的な情報に、眠れない夜を過ごした夜…。
でも辛い現実を受け止めなければならなかったのは次の日の朝でした
目の前で起こっていることと、断片的な情報の点が、
町全体、東北から関東までの線としてつながり、その被害の大きさに信じられない思いでした

悪い夢を見ているんだと、何度思ったことでしょう
明日になったら全部夢だった、そうであって欲しいと何度願ったことでしょう

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4年経っても涙がこぼれる
亡くなった人たちに
亡くなった人を思う人たちに
生きている意味を問いかける人たちに
あの時の後悔とあの日からの自責に
温かいたくさんの人の心と支援に

忘れない3月11日
忘れられない3月12日


出来ることをこれからも
心を込めて
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2015.03.04 3/1鹿児島で
鹿児島は思ったより暖かくなく、みんなが当たり前にダウンを着ていました(笑)
この日も曇り空で、今にも降りそうな寒い日。
それでも菜の花やポピーが咲いていて、田んぼには草も生えていてwww
あったかいんだか、寒いんだかよくわかりません、鹿児島(^_^;)
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鹿児島に行きたかったのは、知覧に行ってみたかったからです
広島、長崎、沖縄、そして鹿児島(知覧)に行くことを自分に課していました
小田さんはそのきっかけを作ってくれました

バス停で、時刻表を見ている女性に
「知覧行きはここでいいんですか?」と尋ねたら
「わたしも旅行者です」と言われてしまいました(^^;)
「わたしも知覧に行きます、もしかしたら小田さんのコンサートで?」と聞かれ
「はい、そうです!」と、またしても小田さんファンと出会えました。

「どちらからですか?」と聞かれ
「仙台です・・・」
「わかります、兄が青葉区に住んでいます。わたしは横浜からなんです」
おぉー、東日本の人の「せんだい」は「仙台」に脳内変換されるね!

バスを待つ間、小田さん話しで盛り上がり、知覧の話しに
彼女もわたし同じように
「小田さんがきっかけを作ってくれて、ありがとうなんです」
と言っていました
バスに乗ってからはお互い別々に座り、
彼女は武家屋敷でバスを降りました
お互い名前も名乗らず、愛しい一期一会でした

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鹿児島中央駅から特効観音入り口まで、バスで1時間半
峠越えをするような不便なところなのに、と思いましたが
航空基地としては地理的に沖縄に一番近いため、
沖縄戦の最前線基地として、特攻隊の半数近くが知覧から出撃したそうです

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今はまだ蕾も堅い桜並木

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知覧基地は、現在使われている地方空港より広い敷地だったそう
桜の咲く頃に見てみたい気がします

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もともとは大刀洗陸軍飛行学校の分校として開校
十代後半から二十代前半の若者たちが沖縄に向かって飛び立っていきました

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凛々しい少年たち青年たちの遺影と
遺書に込められた母や家族への情愛と死に往く覚悟に胸が痛みました
千余名の若者たち、名も無き幾千幾万の戦死者たちの命を無駄にしてはいけないと強く強く思いました
彼らが息子、娘、妹、弟、そしてわたしたち後世に生きる者に託したものは
戦争のない誰もが自由に生きていける日本

たくさんの犠牲となった命の上に、生きているということを忘れない

亡くなった人のためにわたしたちが出来ることは
生きていたそのことを忘れないこと
犠牲を払って教えてくれたことを再び繰り返さないこと

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2015.03.03 2/28鹿児島へ
鹿児島に行ってみたいと、ずっとずっと思っていました
そんな折、小田さんのコンサートが鹿児島である、それも2月28日土曜日に!
ファンクラブの先行予約で当たってもハズレても、鹿児島に行こうと決めました

2月28日(土)
仙台から伊丹で乗り継いで鹿児島へ
s-20150228_005.jpg @仙台空港

s-20150228_015.jpg @鹿児島空港
あいにくの曇り空で山々が見えませんでした

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空港内にはキャンプ情報が
野球のオープン戦を見に来るというのもなかなか楽しそう
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ベガルタがんばれ~\(^o^)/

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自慢じゃないが地図が読めないわたし(^^;)
ホテルを決めるとき「駅近く」と決めています
鹿児島中央駅そばのホテルは迷わなかったし、とても快適でした

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鹿児島中央駅 東口[桜島口]

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『若き薩摩の群像』 藩命で海外渡航の禁を犯した19名
説明板によりますと、
まず始めに留学生たちを驚かせたのはオランダ人夫婦の激しいキッスシーンでした
キスじゃなくキッスというところに激しさが感じられます(≧▽≦)
1865(慶応元)年といえば、まだ日本は鎖国中。甑島(こしきしま)大島出張と偽り、
イギリス商人グラバーの手引きで、羽島を出向してから20日目、シンガポールでの出来事です。
それからはもう見るもの全てが驚きの連続。
アイスクリーム、高層建築、汽車・・・・・。66日かけて彼らはやっとロンドンに着きました。


留学生のなかで聞き覚えのある名前は、森有礼だけでした(^▽^;)
生麦事件(1862年)のあとにイギリスに行くってどういうこと!?
と思いつつ、コンサート会場へと向かいました

薩摩とイギリスの仲が気になる方は(^▽^)
薩摩藩英国留学生記念館のサイトで

s-20150228_040.jpg 会場の鹿児島アリーナへのシャトルバス
♪小田日和♪仕様になってました(*´∀`*)

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鹿児島中央駅から鹿児島アリーナまでは20分弱
鹿児島アリーナに着いたときには雨が降り出していました

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暖かい鹿児島を期待していたのに意外に寒くて、雨が降ってますます寒くて
とても外にはいられず、会場ロビーのグッズ売り場へ入ってみたりして…。
めぼしいものは仙台公演のときに買ったので、寒さ対策(^_^;)
長居も出来ず、サブアリーナの建物へ移動しました

サブアリーナは、開場前に集まった人が寒さしのぎやら、
小腹を満たそうという人やら、トイレを早めに済まそうという人やらで混んでいました
わたしも早めにトイレに行っておこうと、長い列になっている1階のトイレを避けて
2階のトイレに行きました

2階のトイレは武道場の中にあり、
わたしの前にすでにおねえさま一人が順番を待っていました
「わたしの後ろに友だち二人いるの、いまいないけど」とおねえさまは言いました
「あ、はい、わかりました」と言いながらも、
(順番が来ても戻ってこなかったらどうすんの?待ってなきゃいけないの?)
と思いつつ待っていると、案の定(ホラ、順番きたよ)というタイミング
でもわたしが知らないうちにそのお友だち二人とやらは後ろに並んでいたらしく
「すいませんでした、どうぞ」と譲ってもらえることになり、
わたしも(余計な心配しなくて良かった)と思ったのでした

トイレを済ませて武道館から出ると、先ほどのおねえさまがいて
「すいませんでした。どちらからいらしたの?」というので
「仙台です、薩摩川内でなく…」と言ったら
「うわぁ~~握手してもらおう!!」
「( ̄▽ ̄;)」

おねえさまは熊本から来たというYさんで、コンサートに10人くらいで来たという話しやら、
音楽の先生だったんだとか、お友だちやら教え子の方に紹介され(^-^;)はずー
電話番号を交換して「コンサート楽しみましょう!」と別れました
写真を撮ればよかった(>_<)と後悔したのは会場に入ってからでした

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2階席でしたが、ステージ正面でとても見やすい席でした
高所恐怖症ではないのにスタンディングはちょっと怖かった(>_<)

小田さんのうたは、
一人じゃないって思わせてくれて、
頑張ったことは誰かが見ててくれるって思わせてくれて、
真摯に生きようって思わされる。
良かった。
やっぱり来て良かった。
何度でも小田さんに会いたい。


とは言うものの…
前回のツアーのときから小田さんは、コンサート前半と後半の顔が…
疲れが出るようでとても心配です
たとえツアーのために鍛えているといっても67歳
広い会場を行ったり来たり、階段を上ったり下りたり
それを歌いながらするわけですから、疲れますって
わたしはギターを持つ小田さんより、ピアノを弾く小田さんが好きなので
ずっと座っててもらって構わないんだけど(^o^;)
ツアーをしてくれるのはとても嬉しいけど、無理しなくていいからとも思ってます

小田さんのうたでまた明日から頑張ろうと思えたし、
面白い出会いもあった鹿児島1日目でした

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